玉名郡三加和町 戦国肥後国衆まつり

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「刀狩令」発布のきっかけとなった国衆一揆を再現
熊本県和水町にある国指定史跡「田中城跡」は、戦国時代末期に肥後国衆の1人、和仁親実(わに ちかざね)が居城としていた「田中城」の遺構を残す史跡。1587年、親実は隈府城主の隈部親永(くまべ ちかなが)の起こした「肥後国衆一揆」に同調し、姉婿の辺春親行(へばる ちかゆき)と共に田中城に立てこもった。

「肥後国衆一揆」とは、豊臣秀吉の九州平定により肥後の領主となった佐々成政が行った強引な「太閤検地」の政策に対抗して、肥後各地で国衆たちが起こした一揆のこと。

秀吉は、「国が荒れ果てても、ことごとく成敗せよ」と激を飛ばし、徹底的に肥後国衆一揆勢を弾圧した。親実らは、小早川秀包を総大将とした安国寺・立花。鍋島など1万の大軍に対し約2か月間を戦い抜いたが、親行の裏切りにより同年12月5日に落城した。

この一揆後、秀吉は全国に農民が帯刀することを禁じる「刀狩令」を発布したといわれており、農民は農耕にのみ専従させられる近世的社会へと移ることとなったのだ。

肥後中世の終焉のきっかけとなり日本歴史上、大きく位置づけられている「肥後国衆一揆」の「田中城の戦い」。この秀吉に立ち向かった国衆の物語を今に伝えるべく開催されている

「戦国肥後国衆まつり」→ 参考Webページ